パスカル・ロジェ監督
2009年最大の衝撃作だったと言える、深遠かつフィロソフィカルなゴア・トーチャー『マーターズ』。ダリオ・アルジェント、クライヴ・バーカー、フランク・ヘネンロッターらホラー界の重鎮たちも大絶賛する、この世紀の問題作を監督したのが、パスカル・ロジェだ。昨年3月に、東京で開催されたフランス映画祭での『マーターズ』公式上映に合わせ来日を果たしたパスカルの、約1時間に渡るインタビュー完全版をここに再現したい。
INTERVIEW/インタビュー
Q:前半と後半でトーンが変わる独特のスタイルは、監督のデビュー作である前作『マザー』にも共通するのですが、起承転結や予定調和を度外視したこの作りはとても独特で奥深く、感銘を受けました。これは、既存のホラー映画とあえて違うことにチャレンジしたかったからなのでしょうか?

パスカル・ロジェ監督
ああ、そうだね。前作を意識して作っていたわけではないけど、後になってからそうだって気付いたんだ。作品の雰囲気は、『マザー』と『マーターズ』では異なるけど、よくよく考えてみると共通点も多い。隠れたリメイクみたいな形になっていると思う。
でも、『マーターズ』のほうが自分の内臓をテーブルの上に置くような、自分のすべてを曝け出した作品だと思う。
『マザー』は32歳のときに作った映画で、あの年齢でフランスで映画を撮ることはなかなかできないだけに撮れたのはラッキーだったけど、まだ監督として未熟だったため、自分を表現することができなかった。その点『マーターズ』では、経験を重ね、自分が表現したかったことをうまく出せたと思う。
Q:なるほど。
パスカル・ロジェ監督
で、今回は、原作ものとかではなくオリジナルなホラーを撮りたかった。
僕は、第三者的な立場では映画製作をしたくないんだ。『マーターズ』は本物のホラーにしたかった。
例えば最近のホラー映画は、すべて因襲的だと思う。アメリカのホラー映画の大半は、映像が衝撃的で中身がないという、似たりよったりの作品が多い。古典的なゾンビ映画やスラッシャー・ムービーを繰り返し作っているだけだ。僕はそういう映画は作りたくなかったし、自己を表現できて、しかも観た人が考えさせられるような、独特のものを作ろうとした。
1970年代のホラー映画の感覚を再現したかったんだ。あの時代はそれがどんな映画か、どのようなストーリーか、予備知識を得ることもできず、なにも知らない状態で観ることができた。ホラー映画は自由で、実験的だった。監督の個性が表現されていたんだ。例えば、ジョン・カーペンターやダリオ・アルジェントだね。でも今の時代だと、インターネットなどでどういう映画か事前にチェックできてしまう。映画館ではなく家でDVDを観ることもできる。僕はそこから脱出したかった。70年代の映画を復活させたかったんだ。恋愛もあり、拷問もあり、幽霊も登場する。一言では言い表せない実験映画なんだ。70年代の作品が先を読めないような独特の世界観を提示して観客を驚かせたように、僕も『マーターズ』でみんなを驚かせたかったんだ。
Q:本作のアイディアがどのようにして生まれたのかを聞きたいのですが、なにか実際にあった事件を基にしているのでしょうか?それとも完全なオリジナルなのですか?
パスカル・ロジェ監督
特になにかの事件を基にしているわけじゃないんだ。最初に考えたシーンが、一人の少女が家族を殺すシーン。帽子をかぶった少女が、日曜の朝に、とある家族の家に銃を持ってやってきて、復讐を果たすというシーンだった。このアイディアから始まり、なぜ彼女が復讐をしなければいけないかを考え、昔酷い体験をした違いないとか、直感的に出てきたアイディアをつなぎ合わせた結果、『マーターズ』が生まれたんだ。話を考えているうちに、暴力的なシーンや苦しみについてのシーンのアイディアが生まれた。それを書いていくうちに、“暴力とはなにか?苦しみとはなにか?”と考えるようになり、マーターズ=殉教者という意味に辿りつき、それがこの映画のテーマになった。それが決まったのは、脚本執筆の最終段階だったんだ。
Q:今作には、女性二人のラヴストーリーという側面がありますが、前作『マザー』の中でも女性二人がメインキャラクターとして描かれていました。これは偶然でしょうか?

パスカル・ロジェ監督
そうだね。確かに今作は女性が主役のラヴストーリーでもある。でも、それ以上に孤独についての映画なんだ。僕が個人的に関心を持っているのが、孤独なんだよ。
ホラー映画でよくテーマになるのが、孤独で社会に適応できない変わり者だ。
『マーターズ』の根底には、孤独の苦しみがある。それを表現するのに最適だったのが、レズビアンとも考えられる二人の女性だった。彼女たちは世界に受け入れてもらえず、誰からも見捨てられたような状態で最初に病院で出会った。二人にとっては世界中の人が敵なんだ。この映画は病院から出てきた、家族もいない孤独な少女たちの物語なんだよ。
僕がホラー映画を好きなのは、主人公が孤独なモンスターだからさ。あと、この映画は孤独についての映画であると同時に、人生の敗北についての映画でもある。二人が遊んでいる映像が冒頭に映し出されるけど、二人が生きていた証を残すため、あの映像を入れたんだ。
Q:なぜ1970年代、さらにその15年後の80年代という時代設定にしたのですか?
パスカル・ロジェ監督
最初に登場する1971年10月16日という日付は僕の誕生日なんだ(笑)。
その15年後という設定にしたのは、彼女たちが大きくなって復讐ができる年になるのを待つため。
1971年は経済危機の始まりで、オイル・ショックの二年前だった。僕は経済的にうまくいっていない時代に生まれ育ったんだ。
この映画は、うまくいっていない現代社会も反映していて、世界の終り、つまり絶望を表している。ただ、今我々が生きているこの世界がなくなるというわけではなく、社会システム、つまり資本主義というお金でこの場を動かせるというシステムが、もうすぐ壁にぶつかってなくなるはず。だから、次のなにかを考えないといけないんだ、というメッセージを込めて作ったんだ。
Q:マーターズには殉教者、聖人、さらに証人という意味があります。映画に登場するマドモアゼルたちは「殉教者」の誕生をずっと待っていたわけですが、ここで語られている殉教者について説明してもらえますか?
パスカル・ロジェ監督
ギリシャ語の語源で“証人”という意味があるんだけど、それは今では遠のいてしまって誰も想像しない意味になってしまった。僕は“殉教者”よりも、“証人”の意味のほうをこの映画で強調したかったんだけどね。
で、殉教者だけど、この映画で語られる殉教者は、宗教的な意味合いはない。殉教についていろいろ調べたけど、世界中のあらゆる社会に殉教という概念が存在する。多神教徒にも無神論者にも、人間が苦しみを自分の中で受け止め、それを乗り越えた瞬間に見えるなにか。昇天して、その上の領域に到達するということだ。
それはカトリックだけではなく、どこにでもある考え方なんだ。それがマーターズ=殉教者なんだ。それをこの映画で表現したかったんだよ。
Q:ラストに死後の世界についてのシークエンスが登場しますが、監督は死後の世界に興味があるのでしょうか?死後の世界についての考えを教えてください。
パスカル・ロジェ監督
フランスはカトリックの国ではあるけど、最近では多くの人が宗教から離れている。
僕もそのうちの一人で、死後の世界はまったく信じていない。死後の世界があるかないかわからないし、そういうことを考えても仕方ない。それよりも“今を生きる”という考えの持ち主なんだ。
反対に、考えて答えが出るものではないけど、生きている中での肉体的な苦しみ、精神的な苦しみがどうして起きるんだろうか?ということを、自問自答するんだ。人類で最初に虫歯になった人や転んで怪我をした人がどう感じたか、その肉体的な苦しみを考えることもできないし知ることもできない。精神的な苦しみは、なおさらわからないよね。自分の苦しみもわからないし、考えても答えは出ない。
この映画で提議した問題は、苦しみがなんのためにあるのか、それとどうやって共存するのか。薬などで解放される部分もあるかもしれないが、解放されたらされたで新たな苦しみが生まれる。苦しみは常にあるので、それをどうやって乗り切るのか、または付き合っていくのか。その方法の一つとして、死の直前の“昇天”があるのではないかと考えたんだ。この映画のテーマは死後の世界ではなく、それは物語のアクセサリー的に描いているだけ。
僕が訴えたかったことは、苦痛というものの概念なんだ。なぜ、肉体は苦痛を感じるのかということ。この映画は答えのない観念的な疑問がテーマなんだ。
Q:では、例えば、監督自身が今までの人生で経験した苦しみを、メッセージとして反映させている部分もあるのでしょうか?
パスカル・ロジェ監督
特に幼少時代になにかいやなことがあったわけではなく、安心して住めるフランスの中流家庭の中で親にも愛されて、安全で守られた環境で育ったから、僕の苦しみは普通の人並みだと思う。
でも、一度でも苦しみを味わったことがあれば、それを映画のストーリーに反映させることはできる。
でも確かに、『マーターズ』の脚本を書き始めた頃、僕はどん底の状態にいて、社会が理解できないし、社会も自分を理解してくれないという怒りがあった。ホラー映画というのは、自分の中の感情を直接表に出すことができる手段でもあるので、だからこの作品を作ったとも言えるね。
Q:秘密の地下室が前作『マザー』にも、さらに今作にも出てきます。非常に神秘的でソクゾクさせられたのですが、監督は地下室に対するこだわりがなにかあるのでしょうか?

パスカル・ロジェ監督
その点に気付いてもらえて本当に嬉しいよ。
地下室というのは、僕にとって“自分自身に戻る”ということを意味しているんだ。
なにかいやなことがあったときに、自分の内側に閉じこもることもあるけど、一度自分の中の地下に潜って、また浮かび上がってくる。そういう意味での、地下室というものが自分の中にあるんだ。
Q:エクストリームな残虐描写、特に前半の畳みかけるようなゴア描写が衝撃的でしたが、恐怖演出はどのようなことを心掛けましたか?
パスカル・ロジェ監督
最初の暴力的なシーンは、一般的なホラー映画のファンを取り込むための手法として導入した。
第一部はスピーディーでショッキングな描写も多いので、観客の心を掴みやすいし、映画の世界に入り込みやすいと思う。
第二部に入るとトーンが一気に変わるので、ここでは違う意味での驚きを観客に与えたかった。
クラシックなホラー映画のファンは、自分が知っている手法が用いられている作品が好きなので、第一部は好きだけど第二部は嫌いだという人もいる。
反対にチャレンジングな人もいて、ホラー映画のファンじゃないけど、第二部のほうが好きだという人もいたり、反応が一人一人違う。ホラー映画は好きだけど『マーターズ』は好きじゃないという意見を聞くのも嬉しかったし、逆にホラーファンじゃないけど『マーターズ』が好きだという意見を聞くのも嬉しいね。
Q:僕の場合、ホラーだけではなくあらゆるジャンルの映画が好きですが、この映画は第一部も第二部も同じぐらい興奮しましたし、大好きです。
パスカル・ロジェ監督
メルシー・ボクー!(ありがとう)
Q:後半の拷問シーンは撮る側としても、やり過ぎると違う映画になってしまうし、非常に難しいシーンだったと思うのですが、ここで注意したことはどういうことでしょう?
パスカル・ロジェ監督
ああ、君の言うとおりだよ。あれとは逆に、面白い拷問道具を使ったりすることは絶対に避けたかった。
テンポをなるべく遅くして、凄く長い時間がかかっていることを観客にも感じてほしかったし、アンナが感じている苦しみを観客にも一緒になって体験してもらうことを目的として描いた。拷問を派手にするつもりはなかったんだ。苦しみを前面に出したかったんだよ。アンナが暴力を受けるシーンを撮っている時、僕らは彼女が殴られるたびに「これで20%のお客を失った」「嗚呼、これで30%のお客を失ったね」と言いながら、あの拷問シーンでお客さんが目を背けて、減っていくことを予想しながら撮っていた。
でも逆に、あそこを綺麗で見やすい風に撮っていたら、ファシズム的な映画になっていただろうし、そんなことには絶対したくなかった。逆に、観客がアンナの立場に立って、辛く居心地の悪い25分間を送ってもらいたいということを意識して作ったんだ。
Q:特殊メイクも素晴らしかったです。どうやってあの怪物じみたキャラクターたちを創り上げていったのですか?
パスカル・ロジェ監督
今作ではできるだけ、プロテーゼなど60年代や80年代のホラーで見られた古典的な手法を使って作りたかったんだ。
今の時代だと、デジカメやパソコンを使って簡単に色んなものが作れるけど、それよりも実際の人間に舞台の上に立って動いてもらい、それを撮るようにした。難しい部分だけ、パソコンで処理したりもしたけどね。あと個人的に、今はコンピュータを使って血を出すことができるけど、やはり血は体内に流れているものなので、実際にその場で流れているように見せるべきだ。血をコンピュータで片づけている作品を観ると、強い憤りを感じるね。
Q:エンドクレジットでかかるアンビエント・フォーク調の曲が印象的だったのですが、あの音楽は監督の選曲だったのでしょうか?
パスカル・ロジェ監督
ああ。あれは、既発曲ではない新しい音楽、しかも従来のホラー映画にかかるようなものではない、ここでしか聴けない新しい音楽を使用して観客を驚かせたかったんだ。そこで、若いエレクトリック・アコースティック・バンドがいたから、彼らに連絡を取り、新たに曲を作ってもらったんだ。
Q:監督は普段、どういう音楽を聴くのが好きですか?
パスカル・ロジェ監督
二つあるんだけど、まずブラック・ミュージックやファンキーなソウル・ミュージック。
ミュージシャンだと、ジェームス・ブラウンやプリンスだね。逆に、白人のロックには抵抗があって、ちょっと受け入れられないんだ。もう一つは、映画音楽。時にイタリアの映画音楽だ。ゴブリンとかエンリオ・モリコーネだね。映像は残虐なのに、音楽はメランコリックな要素もあったりして、そのギャップが好きなんだ。逆に、アメリカ映画の音楽は、既にできた曲を貼りつけただけに感じられて、オリジナリティがないので、だんだん聴かなくなってきたね。
Q:では、どのような映画を観て育ったのでしょう?どういった作品や監督に影響を受けたと思いますか?
パスカル・ロジェ監督
僕の人生の中で重要な役割を果たした作品が三本あるんだけど、最初に感銘を受けたのが、『エクソシスト』だ。
あの映画を観て、ホラーの力に感激した。この作品が、ホラー映画に興味を持つきっかけとなった。
次に、ダリオ・アルジェント監督の『サスペリアPART2』(『Deep
Red』)。今でも大好きな映画だけど、あの映画を観た時、ホラーの奥深さと完璧さを痛感させられた。複雑で洗練されていて、独特な映像だ。他の映画を観た場合、“ああ、こういう風にしたら、この映画は作れるな”っていうのがわかるんだけど、この映画にいたっては、どうやってできたのかまったくわからないし、この先自分が100本映画を撮ったとしても、あの映画のレベルの半分にも到達できないだろうと思ってしまうほど、素晴らしい映画だ。
最後に、『レイザーバック』。80年代のオーストラリアのモンスター(UMA)映画なんだけど、10回以上観たね。映像が衝撃的で、あの奇抜さに魅了された。あれを観て、観客の目に映るものは監督の意図によるものだということに気付いたんだ。そのとき、映画監督になりたいって強く思ったんだよ。
Q:『ハイテンション』アレクサンドル・アジャ、『フロンティア』サヴィエ・ジャン、『屋敷女』アレクサンドル・バスティロ&ジュリアン・モーリーと、フランスからホラー映画の監督たちが続々と誕生していますが、このムーブメントについてはどう考えていますか?
パスカル・ロジェ監督
海外のホラーファンの間で、“今フランスでなにか起こっているのではないか?”という期待があるようだけど、実際にフランスでは奇跡が起こっているわけでもなく、なにも変わっていない。映画への出資者を見つけるのは難しいし、毎日悪夢のような日々だ。というのも、フランスではいまだにホラー映画というジャンルは軽蔑されているし、マイナーなジャンルなんだ。
だから、フランスでホラーを製作するのは本当に困難で、逆にハリウッドに流れていく監督が多いのはやはり、向こうだともう少しホラーに興味を持ってくれて資金を出してくれる人が多いから。最近確かに、君が今挙げてくれたような作品がフランスで作られて注目を集めるようになったけど、特に大きな変化が起きているわけではないんだよ。
Q:フランスのみならず世界的に見て、監督がシンパシーを感じている映画監督は誰でしょう?
パスカル・ロジェ監督
小さい男の子がマイケル・ジャクソンやミック・ジャガーに憧れるように、僕の場合はダリオ・アルジェントだね。
『マーターズ』のエンドクレジットの最後に、“ダリオ・アルジェントに捧ぐ”という一文を入れたんだけど、彼は僕の人生を変えたと言ってもいいぐらい衝撃を与えてくれた人なので、今でも大好きだよ。
同世代の監督だと、M.ナイト・シャマランだね。彼は最近、フランスでもアメリカでも、ちょっと厳しすぎるのでは?と思うほど厳しい批評を受けているけど、彼は映画の力を今でも信じている監督だと思う。批判されることがわかっていても、あえてアイロニーやごまかしを入れずに、正直に映画を作っていると思う。
Q:最後に、ファンへのメッセージをお願いします。
パスカル・ロジェ監督
日本で『マーターズ』が公開されることになって、本当に嬉しく思っているんだ。
僕は日本のホラー映画にも影響を受けた。だから、日本の人々に観てもらえるのは本当に光栄だよ。
この映画を観て、みんながフランスのホラー映画に興味を持ってくれたら幸いだね。
取材・文:小林真里
DVD/映画「マーターズ」ストーリー紹介

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STORY/ストーリー
1970年初頭のフランス。少女リュシーが、傷だらけの衰弱しきった姿で路上を彷徨っているところを発見される。何者かの手で廃墟に監禁され、長時間拷問 と虐待を受けた彼女は激しいショック状態にあり、自力で脱出したこと以外は一切、事件の詳細を語ろうとしない。リュシーに性虐待の痕跡はなく、犯人の正体も動機も不明。一体、誰が?なぜ惨い仕打ちを・・・? 施設に収容されたリュシーは、同じ年頃の少女アンナの献身的な介護で、平穏な日常を取り戻してゆく。だが、リュシーは気づいていた。夜の闇に身を潜め、自分をつけ狙う、おぞましい者が存在することを。15年後のある朝、ごく普通の家庭の玄関で呼び鈴が響く。そこには猟銃を構えたリュシーが立っていた。忘れもしない虐待者たちの面影。復讐の銃弾を浴び、朝食を楽しんでいた家族は一瞬で血の海に沈んだ。しかし、リュシーは背後に異様な気配を感じ取った。屋敷のなかで、今再び想像を絶する地獄への扉が開かれようとしていた。
(C) 2008 Eskwad - Wild Bunch- TCB film

